北島英司’s blog

ためになる話をいろいろ書きます。

ボランティア

子供の頃からボランティア活動をしていましたが、最初の切っ掛けは

 

中学生の時に卓球部でしたので部活の顧問に、小学生に卓球を教えるようにと言われて始めました。

 

週に1回、片道1時間半かけて体育館で小学生や中学生に卓球を教えていました。

 

そこでは卓球のお兄ちゃんと呼ばれていました。

 

1年続けました。

 

ボランティアなので交通費や食事代は出ません。

 

ボランティアはお金をもらえるものでは無いです。

 

交通費から自腹です。そう言うものです。

 

そして大学生になって学生ボランティアサークルを作ろうと思い、社会福祉協議会を訪れてボランティアセンターを紹介されてそこのスタッフと相談して学生ボランティアを作りました。

 

活動内容は老人ホームで掃除や洗濯畳みやイベントの手伝いや食事介護をしました。

 

当時は千葉県船橋市に住んでいて船橋市に住んでいる人たちが中心となって皆学校に行っている人たちで活動しました。

 

大学生や幼児教育の学生、看護学生がいました。

 

私は初代会長になりました。

 

大学は忙しかったので大変でした。

その後、学生ボランティアフォーラムの仲間になってしまい、

 

学生ボランティアのための講演会の打ち合わせに時間を注ぎ、

 

何故だか講演しました。

 

そこのグループでは社会福祉業議会の職員や高校の先生も仲間にいて

 

不登校児の遠足やイベントの手伝いなどをしました。

 

そこでは代表でした。

 

社会人になって山口県に引っ越してボランティアに登録してサークルに入りました。

 

そこは社会人サークルなので社会福祉業議会の職員や老人ホームで働いている人や普通の会社員やバイトの人がいました。

 

皆ボランティアです。

 

老人ホームでのイベントの手伝いをしていました。

 

蛇足ですが、ボランティア活動をしていない人は知らない話ですが

 

ボランティアサークルに入ると仲間と遊びに行くことを良くします。

 

3つともサークルに入るとサークルの仲間と交流を兼ねて遊びに行きます。

 

そういう楽しみもあります。

 

他には東日本大震災での災害ボランティアにも行きました。

 

10日間かかりました。

 

自営業だから行けました。

 

主な活動は仮設住宅に住んでいるお年寄りの話を聞くことです。

 

傾聴ボランティアと言います。

 

この話を聞くのは簡単なようで実は心がとても傷つくボランティアです。

 

とてもやりたがらないボランティアです。

 

10日間の間、ボランティアに来ていた人たちは心が折れていました。

 

一人でぼーっとしていました。

 

私は結婚していたので元妻と電話で話していました。

 

何故、辛いボランティアかと言いますと東北大震災で家族を無くしたお年寄りの話を聞くからです。

 

家族を失ったお年寄りの心の悲痛の話を聞くからです。

 

この一人暮らしのお年寄りには未来に希望がありません。

 

でも、心の苦痛を閉じ込めていると心がおかしくなるので傾聴ボランティアを集めたのです。

 

聞く方はびっくりしました。

 

こんな辛い話を聞くとは思ってもみなかったです。

 

私も良く耐えたと思います。

 

他のボランティアの人は孤独にぼーっとしていました。

 

とても辛い話を聞きます。

 

私は聞きながら相槌しか打てません。

 

変な同情は嫌われると思って、「大変ですね」「同情します」「可哀そうですね」などの言葉は一切言わなくて只々聴いていました。

 

真面目に考えると私も心が折れるので半分ぐらいは聞き流していました。

 

そうしないと聞けないとても悲しい話でした。

 

 

去年は個人で老人ホームで食事を運んだりお年寄りの話し相手をしたり掃除をするボランティアをしました。

 

ボランティアは簡単な内容ですが、やろうとする人は全然いません。

 

無料だからそうなんでしょうね。

 

逆に無料でないと良いボランティアが集まらないと思います。

 

人のために何かをしたいと思っている人がボランティア活動をしています。