大学時代の思い出を書きます
高校は都立の高校で都内で下から2番目の高校でした。足立区にあります。
高校3年生の時に大学に目覚め、そこから猛勉強をして1浪して大学に入りました。
1学年140人位で女性は最初は3人でしたがすぐに一人辞めました。
2クラスありました。
大学のキャンパスは千葉県船橋市習志野台にありまして、他には東京のお茶の水キャンパスもあります。
私の学科は4年間、船橋市のキャンパスで学科によっては3年生からお茶の水キャンパスに移る学科もあります。
合格してから直ぐに学生寮を申し込んで4畳半の学生寮に住むことにしました。
食事付きなのが助かりました。三食付きです。
学生寮なので先輩がいます。
食事は食堂があり先輩と一緒に食べることもあります。
食事の時間は決まっていて自由に食べる時間を選べます。
入学式は武道館で行われました。
理工学部は武道館ですが他の学部は知りません。
日大はキャンパスが全国にありまして、私は理工学部しか知りません。
理工学部の船橋キャンパスは男性ばかりで「理系のキャンパスは男ばかりだなぁ」と思いました。
サークルや部活の勧誘が行われ、サークル、部活一覧ガイドブックみたいなのを見て面白そうなサークルを探しました。
宇宙航空研究会、ハイキング同好会を選びました。
各サークル、部活は先輩が机に座っていて質問を答えていました。
私は宇宙航空研究会の説明ブースに行って先輩に私も航空宇宙工学科の者ですと話して学科の質問をしました。
すると、、、恐ろしいことを聴きました、、、。
「我々の学科は例年留年率が4割だよ。」
と言っていました。その話は入学後のオリエンテーションで先生が言っていたので、あの話は本当だったのかと血の気が引きました。
本当に恐ろしい学科に入ったなと思いました。
宇宙航空研究会とハイキング同好会に入りました。
しばらく経ち、最初の前期試験は非常に驚きました。
試験範囲が広すぎることを、、、
高校の試験範囲をはるかに超えていて、、、本当なの、、、と途方に暮れました。
私のいた習志野キャンパスは学生寮に住んでいる人や一人暮らしがとても多かったです。
試験勉強は溜り場になっている友達の部屋で5,6人集まって勉強し合いました。
分からないことがあったら友達に質問して皆で考えて勉強しました。
これは自宅から通う人には出来ない試験勉強でした。
大学1年生の時は同じ学科に女性は二人しかいないので学科外で探すしかないなと思いました。
でも、理工学部には男ばかりでバイトをしないと彼女は作れないなと思いました。
友達も皆彼女を欲しがり、「いかにこの厳しい環境で彼女を作るか」を話し合いました。
バイト先で作るしかないと結論が出たのですがバイトをする余裕が無かったです。
実験、製図この二科目が週の時間をかなり取られました。
大変でした。私は製図Ⅰを落とし、2年目で製図Ⅰを取れました。
彼女が欲しいのでバイトをしたいけどバイトをする時間が無い、無理してバイトをすれは留年してしまう、、、
こう言う厳しい学科にいたので友達もバイトをしていませんでした。
2年になり後輩が入って運よくハイキング同好会で彼女が出来ました。
その人は一人暮らしをしていて1か月半、半同棲生活をしました。
結局振られてしまいました、、、。
大学生活は学園祭というのがあります。
それぞれのサークルや部活がやるのですが私は二つ入っていたので忙しかったです。
学園祭でねるとんと言いますが、恋人募集の男女が出て話をしてカップル誕生のイベントがありましたが、心の中で「彼氏がいるけど先輩に出なさいと言われて出ているんだよなー」と冷めてチラッと見ていました。
二つもサークルに入っているとそういう情報が入ってくるので面白そうだと思いつつ、「出る男性は知らないのだろうなぁ、彼女は出来ないのになぁー」と冷めて見ていました。
1年、2年生は猛勉強していました。大変でした。留年率4割の世界、、、。
3年になり、やっと要領が分かってきてバイトを始めました。
家庭教師でした。中学3年生に数学を教えました。
駅から車で迎えに来てくれて自宅まで行き数学を教えましたが、家庭教師を雇う子は癖のある子だと知りました。
最初、全然勉強する気が無くて「勉強嫌いで仕方なく親は家庭教師を付けたのか」と思いました。
そこで「勉強は何のためにすると思う?」と言う質問から始めました。
答えられなかったので私の考えは「大人になったら自分のやりたい仕事に就くために勉強するんだよ。」と話しました。
高校2年生までに将来やりたい仕事を見つけて、大学に行くべきか専門学校に行くべきか考える必要があるよと話しました。
勉強は頭の訓練だから、社会人になったら必要のない知識ばかりだけど進学に必要な科目は力を入れないとマズいよと説明しました。
少しは分ったかなと思って勉強を始めたのですが、無言でペンをいじり始めて無視し始めました。
癖のある子だなぁと思いました。
仕方ないので暫く私は無言でいました。
5分ぐらい無言でいて「このまま勉強をしないまま時間が過ぎてしまって良いの? 家庭教師代は親が払っていて、自分から頼んだので無いから無視するのだろうけど、本当に良いの? このままだと高校は偏差値の非常に低い高校しか行けなくて、将来就きたい仕事には就けなくなるけどそれでも良いの?」と話しました。
それでも無言、、、。
私も無言、、、。
初日は勉強どころではありませんでした。
2回目はまた無言でペンをイジリ始めました。
2回目でしたので私は無言でずーと見ていました。どこまで無言を続けるのか知りたかったからです。
ずーと無言が続き、親がお菓子を持ってきて「この子は勉強する気が無いので私は勉強を教えることは出来ないのですがどうしたら良いですか?」と親に聞いてみました。
親は「よろしくお願いします。」とだけ言って行きました。
また、無言、、、。
私も無言、、、。
その時、何で数学を勉強するかを説明しました。
理系の仕事に就く以外は数学の知識はいらないので何故数学を勉強するかを説明しました。
橋を作るためを題材にして説明しました。
橋を作るためには橋を設計しなければならない。設計するのは理系の大学を出た人しか出来ない。設計に興味が無ければ大学で勉強しなくていい、将来文系方向に就職するかも知れない。世の中は文系職と理系職では圧倒的に文系職ばかり。実はバイトもほとんど文系職だと説明しました。そして君が将来どのような仕事に就こうかまだ決めていないけど、大抵の人は文系方向の仕事に就く。けど、君は数学が一番成績が低いから親が家庭教師を付けたんだよ。月に親が払う家庭教師代は大体何万円だよ。親は自営業だけどお金に余裕が無いように見えるけど、月に何万も君のために支払う余裕があると思う。君の子供の将来のために無理して家庭教師代を支払っていると思うけど、親の気持ちを無駄にするの? このまま私を無視してたら私はバイトを辞めるから、その後は成績低いまま行きたくない高校に行ってしたくない仕事に就くんだと思わない。それで良いの?
と話したら、やっとやる気が少し出て1年経ち、一番成績が悪い数学が一番成績が良い科目になりました。
3年生の時の話、、、まだ話はあるけどここでお終いにします。
ちなみに4年生の時に彼女が出来てその人も一人暮らしでした。
ここまで。